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菊で長寿・重陽の節供 [年中行事]

着せ綿・京都五感処-京都Loversフォーラム.jpg
[引用]京都五感処


9月9日は、重陽の節供です。

重陽の節供は「菊の節供」ともいい、春の桃、初夏の菖蒲と同様、季節を代表する花が配されています。
といっても、今の時期、菊もつぼみ程度ですから、あまりぴんと来ないかもしれませんが。


重陽の節供は、五節供の1つで、1月7日の「人日(じんじつ)」の他は、重日思想に基づき日付が固定された祭日。
祭日は旧暦(陰暦)なので、新暦になおすと、10月末から11月はじめにあたり、今年(2006年)でいうと10月30日ですから、ちょうど菊の開花時期と重なるわけで、確かに「季節を代表する花」なんですね。



この重陽の節供については、中国の影響を無視するわけにはいきません。


農耕社会では、生活の節目が行事と結びついています。
中国の年中行事も、ちょうど耕作や収穫、体の不調が多くなる時期と合っていて、たとえば、

春節:冬の農閑期
元宵節:正月の慌しさが終わる時期
清明節:春の耕作と夏の耕作の間
端午節:一度目の収穫時期
中元節:暑さが体にこたえる時期
中秋節:一年最後の収穫時期
重陽節:冬を迎える準備時期
冬至:冬の寒さが去る時期

という感じです。
このことは、以前、京都・祇園祭の話などのところでも書きましたが、行事は共同体を統括する上で必要不可欠なものなので、だいたいこのような形に落ち着くのでしょう。

また、行事には「幸福祈願」「厄除け」といった特質があります。
節目節目に祈願することによって、次につなげていくわけですね。


重陽の節供は、中国では「重陽節」
陰暦の9月9日。

「重」は重なる意味で、「陽」は太陽の意味。
数でいうと奇数で、月と日がともに陽の数の最大である9が重なるところから、「重陽」と名づけられ、また「重九」とも称されました。
古代中国では、9を陽数として、吉祥、幸福、光明の象徴に考えていて、重陽の「九九」もまた、中国語の「久久」と同音となることから、長久平安の意味も付され、重要視されていたわけです。

重陽を祭日にしたのは、東漢の時代。
梁の呉均が著した『続斉諧記』には、

東漢の時に汝南の桓景という者が、費長房という道士に師事し、学んでいた。
ある日、費長房は、
「9月9日に、おまえの家は災いに襲われるから、急いで家族にそれぞれ、絳嚢(うすい赤絹の小さな袋)に茱萸の実を入れてひじにかけ、高い所に登って菊花酒を飲むように。そうすれば災いを除くことができる」と桓景に伝える。
桓景の家族がその通りに従い、夕方になって家に帰って見ると、鶏、犬、牛、羊といった家畜が全部死んでいた。
それから、9月9日になると、高い所に登って菊花酒を飲み、女性は袋に入れた茱萸を持って、邪を避け災いを除く風習が始まったという。


と、その由来を紹介しています。

また、漢の武帝の時代になると、茱萸(しゅうゆ)(和名:カワハジカミ)を帯び、菊花酒を飲むだけでなく、豆を蒸したもの(『西京雜記』)、また黍や黏米に味を加えたもの(『玉燭寳典』)なども食べるようになったことが記されています。
これは、古代日本において、春や秋の薬草摘みや、予祝・収穫の祭が、やがてピクニックのような行楽に変化していったように(同様の風習の変遷は、もちろん古代中国にもあります)、厄除けの風習が、行楽の要素を兼ね備えつつ、人々の間に定着していったことを示しています。

唐の時代になると、重陽節に高い所に登り、菊を賞で、茱萸を挿す風習は、とてもポピュラーなものになり、友人たちが集まって歓談し、飲酒して詩を詠じるのは、すでに行事のひとつになってきました。


そういうオプションの由来や理由は、また置いておくとして。

菊花酒を飲むのと長生きをするということは、白居易の「重陽の席上で白菊を賦す」などにあるように、すでに行事としての定着していることがわかります。
ちなみに中国で菊は「翁草(おきなくさ)」「千代見草(ちよみくさ)」「齢草(よわいくさ)」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていました。



一方、日本ではというと。


他の節供と同様、中国から平安時代の初期に伝来し、始めは宮中行事として行われたものですが、風習が伝わったのは、もう少し遡ります。

菊が長寿と結びついていること、また、ちょうど衣替えの時期でもあったことから、日本では、重陽の節供の前日から菊の花に綿を巻き(着綿)、菊の香りと菊の花に着く露をその綿に移して、この菊の露入りの綿で身を清めるという、独特の風習が生まれました。

しかし、これはまだ限られた人たちの風習で、五節供のひとつとして広く定着したのは、江戸時代から。
中国では、菊を賞でる風習は北宋の時代にも盛んで、清の時代には空前の賞菊会ブームがわきおこりましたが、日本の江戸時代でも、同じように菊の品種改良コンテストが盛んになりました。



重陽の節供と、同義語なのが「粟の節供」。

平安時代以前は、秋の収穫が行われる時期に、栗ご飯などで祝う風習がありました。
つまり、もともと日本にあった収穫祭の風習に、中国の「重陽節」が入り、両者が結びついて、年中行事として定着していったわけです。


呼び名も月日も、中国のものが導入されましたが、こうして、日本と中国で比較すると、それぞれの特徴がよくわかりますね。



京都の上賀茂神社では、9月9日に「烏相撲(からすすもう)」や「菊の被綿(きせわた」といった無病息災を祈る神事がとりおこなわれます。
興味のある方は見学に。




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