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子孫繁栄・天皇家の出産あれこれ [民俗・行事]

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[引用]バースデープレス


ケーキ2006年9月6日に、秋篠宮家に親王誕生という慶事がありました。
皇孫の中でも、はじめての親王ということで、誕生後の儀式などがよく紹介されています。


どんな儀式が行われるのか、現在と平安時代を比較してみましょう。

皇族の誕生については、戦前の日本帝国憲法において、旧皇室親族令および同令附式に「皇子誕生式」として規定されており、現在もだいたいそれに従って行われています。


(1)着帯

現在:

安産をいのり、妊娠5、6ヶ月目に内御着帯式、9ヶ月目に正式な御着帯式が行われます。
これは江戸時代中期からの儀式。

御着帯式は、出産が軽いといわれる犬にちなんで、妊娠9ヶ月目の戌の日に実施。
御着帯式で使われる帯は、内側が紅、外側が白の生平絹、長さ4m55cm、幅46cm。
それを幅半分を折り、三重にたたんで2羽の鶴と若松が金泥で描かれた和紙で二重に包み、桐の蒔絵の箱に収めたものを、男子皇族の中の最年長者がなる「帯親」が天皇より預かり、今回の場合は秋篠宮家に届けられます。(御帯進献の儀)
それを、夫である秋篠宮様によって妃のお腹に結ばれるわけです。


平安時代:

妊娠3、4ヶ月目になると里第に退出してから、着帯の儀が行われます。
帯は、現在は天皇家側により用意されますが、平安時代は、妻の家柄・経済力が夫の政治力を支えていたこともあり、妊婦の親戚により用意され、儀式も、僧を招いて加持・祈祷を行った後で行われました。

出産までは、もののけが現れてお産を妨げるので、このように加持・祈祷が常に行われるわけです。
『源氏物語』にも、葵の上のお産に際して加持・祈祷が行われています。

また、いざお産になり難産になると髪を一部切って受戒を受けさせることも。
『餓鬼草紙』には出産の場面に、土器の破片が散乱しているものが見えますが、これもおそらく、土器を割ることによって邪気を祓っているのでしょう。

ちなみに出産の際に見られる行為としては、ヤマトタケルとその双子の兄が生まれるとき、その父・景行天皇は大きな臼を背負って安産を祈っている場面などもあります。



(2)産屋の準備

現在:

現在では、宮内庁病院(今回は違いますが)で出産されるので、特に部屋を整えたりすることはないのですが、宮内庁病院がなかった昔、平成天皇の母・香淳皇太后が、天皇を出産される際には産殿が増築されています。


平安時代:

産屋は、それまであった装束や調度が撤去され、すべての調度品は白一色に整えられました。

白は、奈良時代には天皇の色であり、また神事の装束でもあります。
長くなるので詳しくは書きませんが、女帝の即位の装束は白です。

ここで産屋を白一色にするのは、仏教の影響が強いでしょうね。



(3)へその緒・乳づけ

古来の風習として、へその緒は竹刀で切るわけですが、現在はさすがに使いませんよね。

昭和天皇の時代までは乳人(めのと)制度があったので、これは形だけですが、出産後、母となった人がはじめて子に授乳させることを「乳づけの儀」と呼びます。



(4)賜剣の儀

現在:

旧皇室親族令附式では、誕生後、はじめての儀式が、これ。

出産が午前0時から午後5時の場合は出産当日、出産が午後5時以降の場合は、出産と翌日に、病室の枕元に、天皇からの使者を通じて、親王の場合は守り刀、内親王の場合は刀と、着袴の儀で使われる袴が贈られます。


平安時代:

天皇から使者は近衛中将です。
ただ、内親王の場合にも刀が贈られるようになるのは、三条天皇の皇女禎子内親王の時から。



(5)浴湯の儀・読書鳴弦の儀

現在:

誕生から7日目(お七夜)に行なわれる儀式。

女官に抱えられながら檜のたらいに入れられ、湯を浴びられる所作をします。
その間、白い幕で仕切られた向こう側で、読書(とくしょ)の役が国書(『日本書紀』の推古天皇に関する一節)を読んで文運を、2名の鳴弦(めいげん)の役が左足を一歩踏み出して掛声のもと矢のない弓の弦を2度引き放って武運を祈ります。

これは、破魔(はま)の儀とも言われています。


平安時代:

『御産部類記』によると、陰陽師によって日時が決定
一条天皇の中宮彰子の御産の場合、出産後約8時間の後に行なわれています。

『紫式部日記』によると、陰陽家の勘文にしたがって、吉方の流水を汲み、同時に御湯殿の設備が整えられます。白絹を敷き、その上に御槽が立てられ、すべての調度が白絹で覆われます。
奉仕する側も白装束で、熱い湯を水でうすめながら、16の缶に分配し、湯巻姿の女房2人によって奉仕を受けます。

その後、僧の祈祷を受けて、読書鳴弦の儀が行なわれるのですが、読書博士3人が読むのは、『史記』『孝経』その他の漢籍の一節で、それを3回ずつ読みます。
鳴弦は、ただ弦のみを鳴らす作法で、『紫式部日記』には、読書博士3人の後ろに鳴弦が五位10名、その後ろに六位10人が並んで行われたことが記されています。


この儀式は、7日間にわたって朝夕2回行なわれます。
現在の7日目の儀式は、かなり簡略されているわけですね。



(6)産養(うぶやしない)

平安時代には、誕生の当夜、3日目、5日目、7日目、9日目の夜にお祝いが行なわれています。
これを「産養」といいます。

『紫式部日記』には、3日目の夜に、「啜粥(すすりがゆ)」が行なわれます。
声高に常套句を唱え、粥をすする。
この動作を3回繰り返します。

7日目には、命名。
この風習は現在も行なわれています。
いわゆる「お七夜」で、浴湯の儀の後に天皇から、今回の場合だと、秋篠宮様によって「命名の儀」が行なわれます。




誕生にまつわる儀式は、つつがない成長を祈って行われる大切なもの。

現在と平安時代を比較するのも楽しいですね。



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タグ:天皇 出産
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