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色の白きは七難隠す・光がつくる美白 [民俗・行事]

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[引用]大阪府立中之島図書館


日本人の美意識として、色白が好まれる歴史的背景を考えた場合、奈良時代までさかのぼることができます。
現在の意識では、戦後の西洋文化礼賛の産物のように思われますが、実は、6世紀に仏教とともに、白粉の化粧法が伝わってきたことからはじまるといってよいでしょう。

当時、白は、神事に使用される色として、もっとも高貴なものと位置付けられていました。
奈良時代の色については、聖徳太子の冠位十二階では、「徳・仁・礼・信・義・智」それぞれに、紫・青・赤・黄・白・黒が配され、紫が高貴な色と位置づけられていると解釈されますが、その上位に、別途「白」が設定されており、神事の際に使用するものと説明があります。つまり、十二階の「白」とは違う素材・色であることがうかがえます。

日本における「白」にかんする記事としては、『日本書紀』持統天皇6年閏5月条に

戊戌に、沙門觀成に、絁十五匹・綿三十屯・布五十端賜ふ。
其の造れる鉛粉を美めたまへり。


とあります。
従来は、この記事をもって、日本の鉛白製造の開始と解釈されますが、これに関しては、正倉院宝物の調査から、鉛白製造ではなく、日本独自の疑似鉛白(=塩化物系鉛化合物)の製造を始めたとみることが穏当であるといわれています。
鉛白の種類はともかく、この時代にはすでに「白」が珍重され、宝物等にも使われることになったことがわかります。


平安時代には、いわゆる「白塗り」文化が花開きます。
なぜ、(貴族の)女性たち(男性も同じですが)は、白塗りをしたのか。
当時の住宅状況を考えるとわかりやすいのですが、特に貴族は寝殿造りという、平屋建ての建物に住んでいました。高貴な身分の姫君は建物の奥まった部屋にいることが多く、当然ながら、部屋に光が射し込むこともあまりありません。
そのような薄暗い部屋に座る姫君の存在感を確保するためには、暗闇の中にぼぅっと浮かび上がる白塗りの顔が有効でした。
薄暗い中、白く浮かび上がるその存在は、まるで身の内から光を放っているように感じます。

『竹取物語』のかぐや姫や、『源氏物語』の光源氏という、美の体現した人物の名が示すように、身から光を放つ存在というのは、神秘であり、神聖であり、そして美しい存在でもありました。
白塗りの顔というのは、その美を表現するのに、とても良い化粧法であったということがわかります。


時代はくだり、「色のしろきは七難かくす」と記しているのは、江戸後期に出版された『都風俗化粧伝』です。
画像は、大阪府立中之島図書館蔵の『都風俗化粧伝』3巻(佐山半七丸著、速水恒章(春暁)画、嘉永4年)で、内容としては、化粧法や身仕舞い、身のこなし方、髪型やファッションなどについて記したものです。

江戸時代になると、少し薄づきの化粧が好まれますが、白い肌が美のポイントになっていることを端的にあわらした文章です。


もちろん、「白塗り」が好まれた背景として、鉛白が非常に高価なものであり、その効果なおしろいを使用できる身分であるという、いわゆる社会的身分(ステイタス)を示していることとの関連は指摘できるでしょう。
しかしながら、「光」という装置を考えることで、人々の心に「白」が好まれる背景をより理解しやすくなると思われます。


都風俗化粧伝 (東洋文庫 414)

都風俗化粧伝 (東洋文庫 414)

  • 作者: 佐山 半七丸
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1982/10
  • メディア: 単行本





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