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晴れの食・おせち料理 [年中行事]

板前魂おせち.jpg
[引用]板前魂おせち


今年も残り2ヶ月。
クリスマスやお正月関連商品も見かけるようになりました。


年越し行事は、年の締めくくりと新たな年を迎える大切な年中行事です。
正月料理として、おせち料理が定番となったのは、庶民の文化が盛んになった江戸後期からですが、年の節目に行われる節供の料理がその由来。

奈良時代に中国からはいってきた五節供行事と、それまでの日本の行事が合わさり、年中行事というものは形成されてきました。
それは神と人との交流の文化といってもいいでしょう。
節目ごとに、神への感謝と、今後の無病息災、豊かな稔りを願うのが、五節供の行事。

1月7日=人日(七草)の節供
3月3日=上巳(桃)の節供
5月5日=端午(菖蒲)の節供
7月7日=七夕の節供
9月9日=重陽(菊)の節供


これは陰陽道で奇数を陽数として、奇数の重なる日をめでたいとして祝ったことによります。
1月1日は、上記の五節供とは別格の存在として位置付けられているという説もありますが、五節供の1月は7日です。

人日の節供については『荊楚歳時記』に

正月七日を人日となす。七種の菜をもって羹となす。
綵を翦りて人となし、あるいは金を鏤して屏風上に薄帖し、忽ち之を戴く。人を像りて新年に入り、形容改新す。


とあり、いわゆる現在にみる七草粥についての記載があります。
また、綵や金箔を人の形に剪り、屏風に貼ったり、紙に飾ったりしています。この人形は、いわゆる「水無月・夏越祓で無病息災」で夏越祓神事でも紹介し、京都の冷泉家でも似たような風習が紹介されていましたが、身の穢れや厄を人形にうつして祓うのに用いられています。
流し雛を想像すると、良いかもしれません。

7日の七種菜羹は、それを食べれば万病にかからないといわれ、疾病を払うものとして食べられました。
このあたりは、「重陽の節供」や「端午の節供」で紹介したように、その季節の薬草を摂取することで無病息災を願う、他の節供行事と同様です。



また、『董問礼俗』によると、1日の元日から7日までを、

1日=鶏
2日=狗
3日=羊
4日=猪
5日=牛
6日=馬
7日=人

とし、それぞれの日に占い、その動物を殺さないようにしたり、天候などでその年の運勢を占うなどをしたとあります。
1月7日を「人日の節供」というのは、このためです。





このような節供とは別に、やはり、年のはじまりである元日は、大きな節目として重要視されていました。



元日には朝賀の儀など政治的に重要な行事があります。
現在、元日の朝には雑煮を食べますが、正月と餅の風習は平安時代にも見られます。

『紫式部日記』には、

正月一日、坎日(かんにち)なりければ、若宮の御戴餅(いただきもちひ)のこと停まりぬ。
三日ぞまうのぼらせ給ふ。


餅は、もち米・麦粉などを合わせて作ったもので、今の餅とは少し異なります。
餅は、神仏に供えたり、祝い事の際に用いられるもので、年中行事にはよく見られるものですが、ここでは「御戴餅」が供せられています。
ただ、現在の雑煮のように、神の供えた餅を元日に食べるという風習は、江戸時代になってからです。

なお、元日から3日は、「歯固 (はがため)」といい、長寿を願って天皇に押し鮎、大根、瓜、猪宍、鹿宍などの食べ物を供する儀式があります。



『紫式部日記』に描かれた正月のようすを、もう少し見ていきましょう。

ことし正月三日まで、宮たちの、御戴餅(いただきもちひ)に、日々にまうのぼらせ給ふ。
御供に、みな上臈もまゐる。左衞門の督いだい奉り給ひて、殿、はとりつぎて、うへに奉らせ給ふ。 二間(ふたま)のひんがしの戸にむかひて、うへの戴かせ奉らせ給ふなり。おりのぼらせ給ふ儀式、見ものなり。大宮はのぼらせ給はず。

ことしの朔日、御まかなひ宰相の君、例の物の色あひなどことに、いとをかし。
藏人は内匠兵庫つかうまつる。髮上げたるかたちなどこそ、御まかなひはいとことに見え給へ、わりなしや、くすりの女官にて、文屋の博士さかしだちさいらきゐたり。たう薬くばれる、例のことどもなり。

二日、宮の大饗はとまりて、臨時客、ひんがしおもてとりはらひて、例のごとしたり。
上達部は、伝の大納言 右大将 中宮の大夫 四条の大納言 権中納言 侍従の中納言 左衞門の督 有国の宰相 大藏卿 左兵衞の督 源宰相むかひつつゐ給へり。
源中納言 左兵衞の督 左右の宰相の中将は、長押のしもに、殿上人の座の上につき給へり。若宮いだきいで奉り給ひて、例のことどもいはせ奉り、うつくしみきこえさせ給ふ。うへに「いと宮いだき奉らむ」と、殿のたまふを、いとねたきことにし給ひて、「ああ」とさいなむを、うつくしがりきこえ給ひて、申し給へば、右大将など興じきこえ給ふ。



元日は朝賀の儀、2日は、朝覲行幸といい、天皇が上皇や母后に年賀のために行幸する儀があります。
また、2日は、上記の『紫式部日記』にも「宮の大饗」とありますが、これは「二宮大饗」といい、太皇太后、皇太后、皇后、中宮などと東宮とで、群臣を召して宴を催す儀式があります。
一方、大臣が行うものを大臣大饗といい、『栄花物語』の枇杷殿大饗などが有名かもしれません。


『枕草子』に描かれた正月行事も見ていきましょう。

正月。
一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしう霞こめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことに繕ひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、ことにをかし。
(第3段)


元日は、人々が着飾って、新年のお祝いの挨拶の述べ合う姿が素敵だとあります。

七日。雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの、目近からぬところに、持て騒ぎたるこそ、をかしけれ。
(第3段)


いわゆる若菜摘みの風習です。
このときはまだ若菜を摘むだけで、特に現在ような七草粥の風習になっているのではなく、若菜摘みを行い、そこで宴を開いたりしています。
ただ、若菜摘みの風習は、そこで若菜を摘んだ乙女たちが、若菜を羹にして食することも行われており、これは中国や、奈良時代の文献にも確認できます。
上に引用した、七草の羹もそうです。

七草の種類は、まだこのときは確定していません。
また、正月の子の日に行われ、7日に行うものとは決まっていなかったともいわれます。

『枕草子』には、みんなでにぎやかに若菜を摘んでいるようすが描かれています。

同じく7日には、白馬節会、8日には女叙位・女王祿があることが続きます。

十五日。節供まゐり据ゑ、の木ひき隠して、家の御たち・女房などの、うかがふを、「打たれじ」と用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、うちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。「ねたし」と思ひたるも、ことわりなり。
(第3段)


15日に、望粥の膳が出ます。
「望」とは15日のこと。
陰暦十五夜の月のことを「望月」と呼びますが、その「望」です。

現在の感覚から言うと、こちらが、七草粥の風習でしょうか。
といっても、これは七草ではなく、米、粟、黍子(きび)、ひえ、みの、胡麻、小豆の7種で作った粥ということで、また別のものですが。

災禍を免れる願いをこめて粥をいただきます。
また、この粥を炊いた木で、子のない婦人のお尻を打てば、子宝に恵まれると言われていたため、その木を隠し持ち、誰のお尻を叩こうかと狙っている女房の姿が描かれています。




お正月の行事はいろいろありますが、このような行事や宴などで供された節供料理が、やがて江戸時代の町人文化が花開くとともに民衆に浸透していったわけです。
節供は、年の節目ごとに行われていますが、民衆に広がる過程で、この正月の料理だけを「お節供料理」=「おせち料理」と指すようになりました。


庶民の間で広がりをみせた「おせち料理」ですので、その土地や時代によって、多種多様な食文化を形成しています。



おせち料理は、五穀豊穣、子孫繁栄を願い、また家族の安全と健康への祈りを込めて、海の幸、山の幸を豊かに盛り込んだものです。

食材は、黒豆、数の子、田作り、昆布巻、かちぐり、鯛、橙、錦たまご、金平ごぼう、里芋、紅白なます、紅白かまぼこ、栗金団、伊達巻き、菊花かぶ、小肌粟漬、えび、お多福豆などがあります。
それぞれのいわれなどは、以前に「無病息災・年末年始の行事」で少し触れているので省略します。

食材にも地域によって差があり、関東では伊達巻が主流ですが、関西ではだし巻き玉子を入れるところもあるようです。

このあたりは、雑煮と同じです。
すまし仕立てなのか、味噌仕立てなのか、餅は丸いか四角いか、餅は焼くのか煮るのか・・・など、地域の食文化と密接に関わってくるもので、非常におもしろいところです。


おせち料理の食材は、縁起の良い食材であったり、食材の形や名前の語呂合わせで縁起をかついだりするなど、なかなかユーモアあふれる町人文化を垣間見ることができます。




おせちは五段重が基本形です。

一の重=祝い肴(黒豆、数の子、ごまめなど)
二の重=酢の物(きんとんやかまぼこなど)
三の重=焼き物(海の幸など)
与の重=煮物(山の幸など)
※四は忌み数字なので使用しない
五の重=控えの重(中身なし)

奇数を陽数として認識していることから、五段重となっていますが、五の重を省略して四段重を正式とする地域もあります。
五の重に何も入れないのは、現在が満杯の状態ではなく将来さらに繁栄し、富が増える余地があることを示しているとも言われます。


現在では、核家族化の影響で、三段重が一般的かもしれません。
五段重の重箱というのもなかなか見かけませんし。

三段重の場合は、

一の重=祝い肴・口取り
二の重=焼き物・酢の物
三の重=煮物

となります。
とはいえ、それぞれの土地や家庭によってお重の段も中身もさまざまです。

中身でいえば、洋風や中華風のおせち料理を作る方も多いのではないでしょうか。
昔は、年神さまを迎えている間は煮炊きを慎んだり、家の中でもっとも怖くて重要なカマドの神様のために、火をつかわないようにすることから、おせち料理は保存の利くものが多かったのですが、最近では冷蔵庫もありますし、生ものを入れる場合もあると思います。

特に最近の注文用のおせち料理はバリエーションがかなり豊かになっていますので、参考になります。
冒頭のおせち料理などはスタンダードなタイプでしょうか。
こちらは、おせち料理の予約からどうぞ。
特に洋風や中華風、肉系のものは豊富だと感心します。

お正月=パーティー的なイベントとして、オードブルも豊富になりました。






ちなみに我が家では、五段重です。


お正月の準備は、家族総出で毎年行っています。
お餅づくりの際に、祖母たちとお餅を丸めていたことが1番古い記憶でしょうか。
年中行事などは、お手伝いを通して覚えていくものだと実感します。


また、五段重の他に、大皿の鉢盛料理を作ります。
これも晴れの日の料理です。
私の住んでいる地域ではまず見かけない風習ですが、お重にはない華やかさが年始のよろこびを演出してくれます。

さわち料理といえば、高知の「皿鉢料理」を思い浮かべるかもしれませんが、「鉢盛料理」は一種類の料理を一皿に盛るという古い形態のもので、高知の「皿鉢料理」とは大きく異なります。
皿は2尺(約60センチ)のものと、1尺2寸(約36センチ)のものを使用。
そこに刺身などを豪華に盛り付けます。

もちろん、家族が多いときなどはもっと数を増やしますが、今は家族も少ないので、これだけです。
といっても、これでも、現在の家族数から考えて、量はかなり多いです。
本当はこの4分の1くらいが妥当ではないのかとも思えますし、だいたい毎年おすそ分けしているのが現状。
このときの料理で、七草粥の日までは充分過ごせてしまっています。


量や種類を減らせばいいのかもしれませんが、しかし、やはり本来そこにあるべきものがないというのは違和感がありますし、年中行事を守り、続けていくというスタンスもあって、大晦日は家族総出で料理にいそしみます。

野菜の皮むきとお重などの盛り付けは主に子供の役目。
料理ができるようになってからは、自分の好きなものを作って、入れたりするようになりました。時には、本来、空であるべき五の重に入れたりしていました。
いわば、五の重は、子供専用お重だったと勝手に認識しています。





このように、地域や家によって異なるおせち料理ですが、無病息災と子孫繁栄を願う行事であることには変わりありません。

神事は、神に供えたものを下げて、みんなでそれを食べる神人共食の直会(なおらい)の儀をもって終わりとなります。
正月のおせち料理は、この直会の儀です。
正月の際に、両端が細く丸くなった祝い箸「柳箸」を使いますが、これは、自分が使っている別の一方(箸を持っている手の上の方)で神がその料理を共に食べていることを示しているわけです。


お正月行事やおせち料理は、それぞれの家の特徴が出ている、とても楽しい行事だと思います。
伝統にのっとって、というよりも、家族が集り、新年を祝って共に「おせち料理」と食べることが、1番大切なことではないでしょうか。







ちなみに、どうしても食べたくて、五の重に入れたものベスト3は、以下のとおり。

1位 伊達巻
2位 ハンバーグ
3位 海老のチリソース煮



江戸時代のお正月風景については、また別の機会に。




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タグ:おせち料理
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